尚美流 きもの着付師 着物着付

尚美流の歴史

大正13(1924)年 創始者・誕生
昭和22(1947)年 創始者・関西大学卒~出版社設立
昭和32(1957)年 創始者・東宝映画(東京)勤務
昭和36(1961)年 第1回 個性美学講習会(2月;大阪)
昭和37(1962)年 日本個性美学研究所開設(京都)
昭和40(1965)年 この頃から美容使節団を海外へ派遣
昭和47(1972)年 全日本和装協会 発会(京都)
昭和48(1973)年 第1回 全日本きもの着付選手権大会
昭和54(1979)年 第1回 全日本プロきもの選手権大会
昭和54(1979)年 個性を科学するコンピュータ診断システム完成
昭和55(1980)年 創始者・得度(醍醐寺)
昭和57(1982)年 創始者・入寂(11月;満58歳)
現会長・就任(12月)~新体制発足
昭和63(1988)年 きもの着付師育成事業・開始
平成14(2002)年 内閣府よりNPO法人に認証
平成20(2008)年 創始者・二十七回忌
平成23(2011)年 尚美会グループ創立 満50周年

1章 理論の誕生

創始者・松島茂雄会主は東京の東宝映画撮影所・美粧部に勤務し、とくに「顔の研究」を課題にして大学医学部で聴講するなどして研究、人間をトータルに見つめた「個性美学」理論をまとめあげられます。欧米からは新しいヘアー・メイク技法が次々と入ってきた時代で、映画もカラー化して個性美学の応用範囲が広がるいっぽうでした。しかし激務に体調を崩して入院。その期に美容講師としての独立を決めた会主は、昭和36年2月3日、大阪で初めての美容講習会を開かれます。この日を尚美会グループ誕生の日としています。

2章 人の輪が広がる

実用的な実践理論の魅力にひかれた美容師や理容師によって研究会がたちまち全国各地に生まれてゆきます。東海道新幹線が昭和39年に開通して組織拡大も加速。翌年には全国32支部となり、美容・理容技術の競技会を開催したり、生理学的な裏付けによる美顔術~現代のエステの草分けとなるなど日本尚美会はファッション界をリードしていったのです。
理論体系をまとめた『顔の秘密』の出版からテレビ番組への出演が続き、ファッション業界や企業などでの講演が急増。またアジア諸国へ美容使節団を派遣して美容界の国際交流の先駆けともなっています。

3章.和装の頂を極める

この頃に人気を集めていた着付教室の開校を会員から求められ、分科会としてブライダル・ファッションを研究していたメンバーが新たな協会をスタート。和装教育団体「全日本和装協会」の誕生です。理論の裏付けと美容師ならではの技術力によって、尚美流は着付教室としては後発ながら、またたく間に全国に広がります。同時に「全日本きもの着付選手権大会」がその歴史の幕を開けます。なにごとにも"初心"が大切との会主の信念によるこの競技会は、他の追随を許さないほどの技術の上達をもたらしてきました。
また、54年からは各部門で技術や感性を磨く舞台「全日本プロきもの選手権大会」が歳末の「納会」に併催されるようになり、第一線で活躍するプロとして厳しく美しい火花を咲かせてゆきます。
そんな多忙な日程の合間を縫うように創始者は真言宗の総本山・醍醐寺(京都)で得度され、徳島・千光院の住職となられます。『美在心中』の教えにある通り、心の豊かさを磨く尚美流の方向性を示されたのです。第10回の全国大会(京都;祗園甲部歌舞練場)が最後の舞台に。全国各地で秋の研修会が行われるさなかの昭和57年11月2日、創始者は疾風怒涛の生涯を閉じられました。

4.受け継がれる心と技

二代目会長に就任した松嶌 徹は、創始者の遺志を受け継いだ会員とともに協会の諸制度の整備に取り組みます。
教本や教材と指導者育成制度の充実、そして伝統技術の継承者として着付師育成事業に取り組んでいるのは、すでに皆さんもご承知の通り。一人ひとりの個性を大切にする教育方針によって現在に続いています。
14年には特定非営利活動法人(NPO法人;内閣府認可)となり、日本の伝統文化を継承する社会的使命を果たすべく、活動の場をさらに広げています。
なお『きもの着付師』の育成や技術者の派遣は特定非営利活動法の非営利特定事業に含まれないことから(株)尚美会が事業主体となって実施しています。 (文責 尚美流・教育本部)

尚美流 創業者
研究の合間には閉撮影所で指導 閉店後の美容室も講習会場に
演会はいつも絶賛の嵐
人間科学としての理論がテレビの話題に
第1回 全日本プロきもの選手権大会(大阪) 時代衣裳が花嫁姿へと発展する過程を実習 全国大会(京都国際会議場)
上に戻る
Privacy Policy